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感動する話 《矢沢の生き様》

「何歳まで生きられるか知らないけど、 オレは役を与えられたんだ。 矢沢永吉という役を ・・・」と言うところが心に響く。正に「命が自分を生きているというか、生かされているということに気付いて、開き直ったんだなぁ。
──────────────────────────────────────
【矢沢の生き様】
    FB「名言の宝箱」より
1998年、
オレはオーストリアで被害総額30億円以上という、
とんでもない横領被害に遭った。
犯人は長年、 一緒に仕事してきたオレの部下だった。
事件はオレにとって大きかった。
金額の問題じゃない。
とにかく精神的ダメージが大きかった。
どーんと胸に空洞があるみたいになった。
ショックだった。
だってそうじゃないか。
犯人は側近中の側近だ。
やつらが共謀してオレを裏切ったんだ。
背任、横領、公文書偽造。 やりたい放題だった。
しかも、 10年間にわたって。
「矢沢がやられたよ、 だまされちゃったよ、
大借金くらっちゃったよ、 あいつバカだよな」
結局、 マスメディアが言ってることはこれだけだった。
オレは、 負けるわけにはいかない、 と思った。

「こいつら、 待ってるんだろうな、
オレが破産するのを。 こいつらにいい思いさせたくないな」
こいつらっていういのは、 「他人の不幸は蜜の味」
と思っている連中だ。 すると、どうする?
何が何でも借金を片つけなきゃいかん。
「あの男は落ちねえな」
と思わせるところにいかなきゃ
オトシマエがつかないだろう。
オレが引かない理由? プライドもあるだろう。
このまま尻尾を巻いたんじゃ、 あまりにもシャクだよな。
でも、それだけじゃない。 もっと上から見てみたら、
本当に負けちゃいけないって思えるんだよ。
このままじゃ、 世の中に正義ってもんがないってことになる。
「真実もクソもあるかい。 おもしろければいいじゃん」
ってやつばっかりのさばったら、 人間社会は終わる。

いくら腐っても、 どっかのところでは、
誰が悪いのか、 何がどうなているのかは、
きっちり白黒つけなきゃいかん。

うちの女房はいいことを言った。
「あなた、 FやKを憎んだところで、
今さら消えたお金と時間が返ってくるわけじゃない。
やらなきゃいけないことは、 ほかに山ほどあるわ。
かわいそうなヤツらだと思って、
こっちからパスしちゃいなさいよ。
あんまりあの人たちを
憎むことにかかわらないほうがいいわ。
憎んだら、 あなたまで持っていかれちゃうわよ」

そうだよな。
「世の中はみんな盗人だ」と思って、
いつもピリピリしてたんじゃ、 いい音楽はつくれない。
オレはだまされた自分のことがいやじゃない。
この純粋バカさ加減の矢沢がきらいじゃない。
そういうオレは甘ちゃんかもしれない。
でもオレはそれでいいと思っている。
長い年月で、 どっちが悲しい思いをするだろう。
オレじゃない。
オレを陥れるヤツのほうが、 悲しい思いをする。
オレは絶対そう信じている。
これは負け惜しみじゃなくて、 そう思う。

人間はいつか死ぬ。 だんだん年をとって、
体もゆうことをきかなくなってきて、
ふと若いころを振り返ったとき、
信頼してくれている人間を
陥れたことがあるなんて思い出したら、
それは気持いいもんじゃないよね。

負債と取り立て。 こいつは苦しい。
でも、オレは負けない。
何歳まで生きられるか知らないけど、
オレは役を与えられたんだ。
矢沢永吉という役を。
「そうだよなあー。 ケツまくって生きるのもスジか」
と思って、 でかい口あけて笑えるようになった。
オレは歌える。
借金を返すのに何年かかるかなんて、
そんなもん、たいしたことない。

死んだらほんとのおしまいなんだよ。
やっぱり。

矢沢永吉著「アー・ユー・ハッピー?」
(角川文庫2004年4月発行より)

    矢沢永吉の言葉

感動する話 《苦しみを味方に変える秘訣》

円覚寺の名物管長・横田南嶺さんが語る
                「致知出版社」より  
 ある日、横田さんのもとに 
『致知』読者から一通の手紙が
 届いたといいます。
 
 その読者との手紙のやり取りから見出した
「苦しみを味方に変える秘訣」とは――。

 2年ほど前に『致知』の読者である
 という夫人から手紙をいただいた。

 手紙によれば、
 がん患者であるという。

 切除手術を受け
 抗がん治療を受けながら、
 幼い子供を育てているらしい。

 そんな大病をして、
 人はどう生きるのかを求めて
『致知』を購読して、
 私のことを知ったらしい。

 拙著の
『いろはにほへと ある日の法話より』
 を読まれ、その中に書かれている、
 坐禅の要領として、
 過ぎたことを気にしないこと、
 これから起こることも
 気にしないこと、
 彼女はこれをその通り実践された。

 彼女は

「大病をすると、
 失った体の一部のことや、
 これからの不安など、
 ついつい考えてしまいます。

 そんな時この言葉を思い出し、
 今現在をしっかり生きようと、
 今こうして生きていることに
 感謝しようと思い直すことが
 できるのです」

 と言われていた。

 更には

「この病気は今生きている感謝を
 学ぶ為に天から与えられたもの
 かもしれない」

 とまで受け止められた。

 そして
 
「お寺で修行は出来なくても、
 病気と共に日常生活の中で
 生きている感謝、
 生かされている感謝を学ぶ為に
 自分なりの修行をしたい」

 という決意が述べられていた。

 私も

「お寺で型どおりの修行をするよりも、
 今の置かれた状況の中で、
 日常の生活で感謝の心をもって
 生きることこそ最大の修行です」

 と返信を書いた。

 彼女は辛い闘病生活を送りながら、
 その通りの「修行」を
 されたのであろう。

 何度か手紙をいただいたが、
 病はよい方向には
 進まなかったようだ。

 それでも手紙には

「管長様の今生きていることに
 感謝しましょうという言葉を
 頼りにしています。
 どんなに苦しくとも
 今生きています。
 それがすべての答えです」

 と書かれていた。

 そして彼女は
 とうとう死を迎えたと
 知らされた。

 しかし亡くなるその日まで
 意識もあり、
 全てを受け入れて死を迎えられた
 とご遺族から感謝の言葉を
 いただいた。

 苦しい病床にあっても
 ただ今生きていることに感謝し

「獨坐大雄峰(どくざだいおうほう)」

 の心境にあったことには
 敬服するばかりだ。

 いつ如何なる状況であろうとも、
 ただ今この場所で生きている、
 生かされている、
 この大いなる奇跡に
 心から感謝して全てを受け入れ、
 精一杯生きることこそ、
 真の修行である。

 なくしたもの、
 思うようにならないことばかりを
 嘆くよりも……
獨座大雄峰

感動する話 《ある父の遺言》

人生にリハーサル無し。誰もが常に、本番の連続で夢舞台を勤める役者である。
家庭でも仕事でも、色々なことが突然起きるものとして受け入れ、プロの役者だから、最善を尽くして、やるしかないのである。
どんな事が次々と起きても、今度は、こんな難しい演技を要求されたなぁっと思って、人生を楽しむだけ。
なんといっても、「なるようにしかならん」のが人生なのだから・・・
………………………………………………

「ある父の遺言」
              『致知』1986年7月号より

『生きるということは一度しかない。
 リハーサルなんかありはしない。
 たった1度だけである。』

 私にこんなすさまじい教えを
 教えてくれた1人の若者がいた。

 今から7年前の1月21日、
 富山県の砺波(となみ)という町で、
 ガンで亡くなった井村和清さん
 である。
 
 彼は医師であったが、
 右膝に巣くった悪性腫瘍の転移を
 防ぐため、右脚を切断した。
 しかし、その甲斐もなく、
 腫瘍は両肺に転移していた。

 そして昭和54年1月、
 亡くなったのである。
 享年31歳であった。

 彼は医師であったから、
 自分の病状をよく知っていた。
 だから彼には明日はなかった。
 その彼が遺書を残している。

 その遺書は
『ありがとう、みなさん』と
 題されている。
井村和清さん

 彼は2人の子供に
「心の優しい、
 思いやりのある子に育ってほしい」
 と書き、

「私は今、熱がある。
 咳きこんで苦しい。
 私はあと、いくらもお前たちの
 そばにいてあげることができない。
 だから、お前たちが倒れても
 手を貸してあげることができない。

 お前たちは倒れても倒れても
 自分の力で立ち上がるんだ。
 お前たちがいつまでも、いつまでも、
 幸せでありますように。

 雪の降る夜に父より」

 そしてまた彼は、
 こんな遺書も残していた。

「ようやくパパと言えるように
 なった娘と、まだお腹にいる
 ふたりめの子供のことを思うとき、
 胸が砕けそうになります。
 這ってでももう1度と思うのです。

 しかし、これは私の力では、
 どうすることもできない。

 肺への転移を知った時に
 覚悟はしていたものの、
 私の背中は一瞬凍りました。

 その転移巣は
 ひとつやふたつではないのです。
 レントゲン室を出るとき、
 私は決心していました。

 歩けるところまで歩いていこう。

 その日の夕暮れ、
 アパートの駐車場に車を置きながら、
 私は不思議な光景を見ていました。

 世の中がとても明るいのです。

 スーパーへ来る買い物客が
 輝いてみえる。
 走りまわる子供たちが輝いてみえる。
 犬が、垂れはじめた稲穂が、
 雑草が、電柱が輝いてみえるのです。

 アパートへ戻ってみた妻もまた、
 手をあわせたいほど
 尊くみえました」
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 
「郷里へ戻ると父が毎朝、
 近くの神社へ私のために
 参拝してくれていることを
 知りました。

 友人のひとりは、
 山深い所にある泉の水を汲み、
 長い道程を担いできてくれました。
『これは霊泉の水で、
 どんな病気にでも効くと
 言われている。
 
 俺はおまえに
 何もしてやれなくて悲しいので、
 おまえは笑うかもしれないが、
 これを担いできた。』

 彼はそう言って、
 1斗(18リットル)上もありそうな
 量の水を置いてゆきました。

 また私が咳きこみ、
 苦しそうにしていると、
 何も分からぬ娘までが、私の背中を
 さすりに来てくれるのです。

 みんなが私の荷物を
 担ぎあげてくれている。
 ありがたいことだと
 感謝せずにはいられません。
 
 皆さん、どうもありがとう。

 這ってでももう1度戻って、
 残してきた仕事をしたいと
 願う気持ちは強いのですが、
 咳きこむたびに咽喉をふるわせて
 出てくる血液を見ていますと、
 もはやこれまでか、
 との心境にもなります。
 どうも、ありがとう。」
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 日一日と悪化する病気に、
 もう猶予はできない。
 ここまでくれば、
 いつ机に向かうことが
 できなくなるかもしれない。

 とにかく『あとがき』を
 書くことにした。

「頼みがあります。
 もし私が死にましたら、
 残るふたりの子供たちを、
 どうかよろしくお願い致します。
 
 私が自分の命の限界を知ったとき、
 私にはまだ飛鳥ひとりしか
 子供はありませんでした。

 そのとき、私はなんとしても、
 もうひとり子供が
 欲しいと思ったのです。
 
 それは希望というよりは、
 むしろ祈りのようなものでした。

(中略)

 祈りは通じ、
 ふたりめの子供が
 妻の胎内に宿ったのです。
 
 妻はこれはあなたの執念の子ね、
 と言って笑いましたが、
 私はどうしても、妻と飛鳥を、
 母ひとり子ひとりに
 したくなかったのです。

 3人が力を合わせれば、
 たとえ私がいなくても、
 生きぬいてゆける。
 
 妻がもし艱難に
 出逢うことがあっても、
 子供たちふたりが心を合わせれば、
 細い体の妻をきっと助けてくれる。
 そう信じています」

 そして、彼の死後、
「誰よりも悲しむであろう父母を
 慰めてやって下さい」と頼み、

「ありがとう、みなさん。
 世の中で死ぬまえに
 これだけ言いたいことを言い、
 それを聞いてもらえる人は
 滅多にいません。
 
 その点、私は幸せです。

 ありがとう、みなさん。
 人の心はいいものですね。
 思いやりと思いやり。
 それらが重なりあう波間に、
 私は幸福に漂い、
 眠りにつこうとしています。

 幸せです。

 ありがとう、みなさん、

 ほんとうに、ありがとう」

 1人の若者が
 生きることの大事さを
 教えてくれた生の記録である。
 彼は最後の最後まで、
 人間万歳を歌いあげたのである。

 最後の最後まで
『ありがとう』をいい続けたのである。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 生きるということは1度しかない。
 リハーサルなんかありはしない。
 たった1度だけである。

 どうか「生きる」ことを
 大事にしてほしい。


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感動する話 《人間の究極の幸せ》

仕事というものは、様々なものを与えてくれる。
生活を営む為の収入もあるが、仕事を通じての、いろいろな出逢いが人生を彩ってくれることもある。
出逢いの中でも、究極の出会いは、ソウルメイトとの出逢いではなかろうか。ソウルメイトなんて信じないと言う人もいるかもしれないが・・・
以前こんな経験をしたことがある。入社して、初めて出社した日に、沢山社員がいる会社なのに、最初に目が合い、会釈をした瞬間、前に何処かで逢った様な、何故か懐かしいような気持ちなったことがある。
ちょっと話の本題から離れたようだが、仕事が各々の人生において果たす役割は、極めて大きい。

【人間の究極の幸せ】

日本理化学工業(株)会長、大山泰弘氏
            心に灯をともすより

二人の少女が入社した日のことは、今でもよく覚えています。

きれいに晴れた、暖かい日でした。

二人がタドタドしく挨拶するのを、社員たちは暖かいまなざしで見守っていました。

そして、拍手で二人を迎え入れたのでした。

「私たちがめんどうをみますから」という社員の言葉に嘘はありませんでした。

みなが二人の少女をかわいがり、本当によくめんどうをみてくれました。

彼女たちは、雨の日も風の日も、満員電車に乗って通勤してきます。

そして、単調な仕事に全身全霊で打ち込みます。

どうしても言うことを聞いてくれないときに、困り果てて「施設に帰すよ」と言うと、泣いて嫌がります。

そんなある日のことです。

私は、とある方の法要のために禅寺を訪れました。

ご祈祷がすみ、食事の席で待っていると、空いていた隣の座布団に、偶然にもご住職が座られました。

そして、こんな質問が思わず口をついて出ました。

「うちの工場には知的障害をもつ二人の少女が働いています。施設にいれば楽ができるのに、なぜ工場で働こうとするのでしょうか?」

ご住職は私の目をまっすぐに見つめながら、こうおっしゃったのです。

「人間の幸せは、ものやお金ではありません。

人間の究極の幸せは次の四つです。

人に愛されること、

人にほめられること、

人の役に立つこと、

そして、人から必要とされること。

愛されること以外の三つの幸せは、働くことによって得られます。

障害をもつ人たちが働こうとするのは、

本当の幸せを求める人間の証(あかし)なのです」

確かにそうだ…。

人は働くことによって、人にほめられ、人の役に立ち、人から必要とされるからこそ、生きる喜びを感じることができるのだ。

家や施設で保護されているだけでは、この喜びを感じることはできない。

だからこそ、彼らはつらくても、しんどくても、必死になって働こうとするのだ。

働くことが当たり前だった私にとって、この幸せは意識したことすらないものでした。

それがいかにかけがえのないものか、私は、生まれて初めて考えさせられました。

二人の少女が、一心にシールを貼り続ける、その姿。

そして、「ありがとう。助かったよ」と声をかけたときの輝かんばかりの笑顔。

私は、ご住職の言葉によって、その笑顔の意味を教えられたのです。

日本理化学工業は、社員の7割が身障者という日本一のチョーク工場だ。

大山会長は、「人は働くことで幸せになれる。であれば、会社は社員に『働く幸せ』をもたらす場所でなければならない」という。

仕事ができるありがたさは、仕事を辞めたり、働けなくなったときにわかる。

それは、病気になってはじめて、健康のありがたさに気づくのと同じ。

人にとって一番つらく悲しいことは、無視されることだという。

無視と同様なのが、「あなたは何の役にも立たない」、「あなたは必要ない」、そして存在の否定の言葉「死ね」「バカヤロウ」「ウザイ」。

人も会社も組織も、まわりから認められ、必要とされるからこそ存在している。

「働くことによって、生きる喜びを感じることができる」

働けることのありがたさを、しみじみとかみ締(し)めたい。



         


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感動する話 《親が子を、子が親を思いやる》

充実した人生って、今起きている現実を一所懸命生きること。このお母さんは、先のことなど考えずに、今を賢明に生きたのだろう。未だ来ていない未来を思うと、不安や絶望に心が押しつぶされていたかも知れない。
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「お母さん・・・」
        思わず涙する感動秘話より

昨日4時22分に母が亡くなった。

風邪一つ引かない元気な母だった。

僕が幼稚園に入るころもう父はいなかった。

借金作って逃げたらしい。

朝は4時に起きて俺らの弁当作って

6時から17時まで弁当屋でパート。

帰ってきたら晩飯作ってすぐに出て行って

11時までパチンコ屋で掃除のバイト。

休むのは月に3回あればいいほう。

そうやって僕と妹は育てられた。

反抗期なんてほぼ無かった。

あんなに頑張る母親を見て

反抗なんてできるはず無かった。

いや・・・一度だけあった。

クリスマスの2,3日前

ゲームボーイが欲しいとねだった。

友達がみんなゲームを持っていたのに

自分だけ持ってないと苛められると。

何故あんな嘘をついたのだろう・・・。

母は「ごめんね・・・」

と顔をくしゃくしゃにして泣いた。

僕も何故か悲しくなって

家族3人でボロボロ泣いた。

その日は3人とも同じ布団で抱き合って寝た。

クリスマスの日の夕食はおでんとケーキだった。

母親は子供のようにはしゃぎ、歌い、

最後に「はい」とプレゼントを渡した。

古いゲームソフトだけを買ってきた。

「これだけじゃできないんだよ」

と言おうとしたけど、

うれしそうな母の顔を見ていえなかった。

あれから20年、

兄妹そろって大学まで出してくれた。

俺も妹ももう就職したし

これからは楽させてあげるから仕事やめなよ。

っていったのに。

働いてなきゃボケるって・・・

そんな年じゃないだろう。

どっか3人で旅行にいこうよっていってたのに。

妹の結婚式みるまでは死ねないっていってたのに。

なんで末期癌になるまで働くんだよ・・・。

何度も病院いこうって

言ったじゃないか。

先生も言ってた。

「あんなに我慢強い人見たこと無い」

って。

看護婦さんに

「迷惑かけてごめんね」

ばっかり言ってたんだってな。

いっつも人のことばっかり気にして・・・。

震える手で書いた枕もとの手紙・・・

読んだよ。

「耕ちゃんへ

小さいころはいつもお手伝いありがとう。

あなたはわがままをひとつも言わない

やさしい子でした。

妹の面倒も沢山見てくれてありがとう。

あなたが生まれてきてくれて

ほんとうにうれしかったよ。

あなたのお嫁さんを見たかった。

梓へ

女の子なのにおしゃれをさせて

あげられなくてごめんね。

いつも帰ったら

「ぎゅっとして」

といってくるあなたに何度私は救われたかわかりません。

あなたはあなたを愛する人を見つけなさい。

そしてその人のために生きなさい。

死は誰にでも訪れるものです。

悲しまないで。

あなたがもし辛いことがあったら

いつでもあなたの枕元に立ちますよ。

なんてね。

あなた達の母親で良かった。

また生まれ変わってもあなた達の母親でありたい。

それが私の唯一つの願いです。


体に気をつけて。

寒いからあたたかかくして。

それから・・・

それから・・・

きりが無いからやめとくね。

たくさんたくさんありがとう」


お母さん・・・

手紙涙でにじんでボロボロだったよ。

だから紙を買ってきてくれ

って言ってたんだね。

お母さん・・・

ありがとう・・・

ありがとう・・・

ありがとう・・・


女手一つで子供達を育てるのは、

本当に必死だったと思います。

子供達にふびんな思いをさせないように、

子供達の笑顔を絶やさないように、

毎日を頑張っていたのだと思います。

お母さんの人生は、

子供達の成長が何よりの喜びだったのでしょう。

子供達にも、あふれんばかりの愛情は、

伝わっていたようです。



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 出逢いに感謝
ファンタスティック ツリー
プロフィール

taka

Author:taka
ニックネーム:孝ちゃん
 性 別  :男
 血液型  :O型
 現在地  :広島市

69歳の今も、何にでも興味を持ち、いつも熱き心で青春だ。人生は、成るようになるし、また成るようにしかならん。起きるべきことが起きるから深呼吸してリラックス リラックス。
「明日死ぬと思って生きよ 永遠に生きると思って学べ」を心に。

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Von Trapp Kids All Grown Up! -The Sound
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