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「日本一の空師」

   飯田清隆(いいだ・きよたか=飯田林業社長)
              『致知』2007年5月号「致知随想」より
              ※肩書きは『致知』掲載当時のものです
                       http://www.chichi.co.jp/
■父の偉大さを痛感
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「空師」──今年三十七歳になる私は、
東京でこの耳慣れない職業の四代目を継いでいます。

空師は木の伐採や剪定をする職人の中で、
空に近い、特に高い木に命綱一本で登り、仕事をします。
ただ木を切ればいいというものではありません。
他の木や建物などの障害物がある中、いかに安全・確実に
仕事をするか。切った枝を下ろすにも、下にいる職人とともに
巧みにロープを操らなければならず、木を倒すにも、倒れる
方向・角度を計算して根元に切り込みを入れなければなり
ません。数センチのミスが数メートルのズレを生じ、重大な
事故を招きます。

亡くなった父は日本一の空師でした。すべての工程を予測
し、どんな場所どんな木でも、自分で思い描いたとおりに仕
事を進めていました。その確かな腕を見込まれ、皇居や
全国の神社仏閣から住宅まで、多くの仕事を任されていま
した。私は幼い頃よりそんな父を見て育ちました。

休みの日は実際に現場に連れていかれ、枝運びや片づけ
を手伝ったものです。かっこよく木の上で仕事をする父に対し、
次第に憧れの気持ちが強くなり、高校卒業後、すぐに弟子
入りしました。
しかし実際に入ってみると、甘いものではありませんでした。
父からは事あるごとに「ばかやろう」と怒鳴られる始末。
ちょっとした気の緩みや目測違いで、自分の命が危なくなる
だけでなく、他者に被害を及ぼす大惨事も起こしかねません。
それだけ危険な仕事なのです。

日常生活全般にわたり父から厳しく仕込まれる中、五年経つ
頃には一通りの仕事をこなせるようになっていました。
しかし自分のやり方を試してみたくなる時期でもあり、
昔ながらの方法を貫く父に反抗するようになったのです。
「こうすればもっと早い」と私が言おうものなら、気性の荒い父
から「お前は分かっていない」と手が飛んでくることも少なく
ありませんでした。

そんなある日、とうとう取っ組み合いの大喧嘩をし、家を飛
び出します。父の友人である植木屋の親方が事情を知り、
雇ってくれました。
後で聞いたのですが、このことを知った父は、会社に近い
住まいを探してやってほしいと言っていたそうです。

親方は私がきちんと修業できるよう、通常植木屋が扱わない
大木の仕事も受注してきてくれました。
父から離れて自分の好きなように仕事ができる──。

しかし実際に自己流でやってみると、父が言っていたことが
グサグサと胸に突き刺さってきました。言うとおりにしていれ
ば、こんな失敗をしなかっただろうにと思うこともしばしば。父
の偉大さを痛感し、空師としての仕事のやり方を見直してい
きました。また親方からは、細かな木の剪定技術や移植の
技術などを習い、多くを勉強し充実した日々を送っていました。

■一生忘れられない言葉
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
しかし二年が過ぎ、急遽家に戻ることになりました。
家族から父ががんらしいので、戻ってきてほしいと言わ
れたのです。地元のチンピラにも負けないくらい勇ましかった、
あの親父ががん……。

父の代わりをするために戻ったのですが、
職人肌の父はなかなか療養しようとしません。
結局は私が主な役割を果たしつつ、久しぶりに一緒に仕事
をしていくことになりました。
以前はあんなに反発していた父に対し、いまはとにかく
休んでほしい、安心してほしいと思うようになっていました。

家に戻って三年近くなる平成十年、ユネスコからカンボジア
のアンコールワットでの伐採の仕事を任されました。

がんが進行していた父に代わり、私が木に登ることにな
るのですが、直径三メートル・高さ五十メートルもある大木
は初めてでした。しかも日本の木よりも油分・水分を多く
含むため、思うように作業を進めることができません。
下にいる父と無線で連絡を取りながらなんとか進める中、
一生忘れられない父の言葉を聞くことになります。

「この仕事を終えたら、おまえを日本一の空師と認めてやる」

それまで父からは厳しい言葉しかかけられたことがなかった
ため、木の上で涙が出そうになりました。もっと父から学ん
で立派な空師になりたい──。

しかし残念ながら、帰国後父の病状は悪化し、
その年の暮れに五十一歳の若さで亡くなりました。

その後父の後を継ぎ「飯田林業」を運営しています。いまでは
父のように、イメージしたとおりに作業を進めることができます。

どの枝にどのようにロープをかけ、どの順番で切っていくか。
経験を積み重ね、自然と読めるようになってきました。

さらに、木の気持ちもよく分かるようになりました。
例えば、道路を車で走っていても、あの木はそろそろ枝を
切ってあげないと重くて辛いだろうなと思うと、数日後に仕事
の依頼がきます。
このような不思議なことが何度かありました。

日本人は木とともに生活することで、心豊かな生活を送ってきました。
私自身も木と接しながら、ものすごいパワーをもらっています。
その生命力を実感する毎日です。一本一本の生命を尊重する
ため、伐採する場合は古式にのっとり、お酒やお塩で供養を
し、枝や幹は可能な限りリサイクルしています。

技術だけでは立派な空師になれません。
父は的確に仕事をしつつも、自然の恵みに感謝し木を大切に
生かす仕事をしていました。
父を上回るような日本一の空師を目指し、これからも木と共存
する中、その命を生かし続けようと思います。


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「明日死ぬと思って生きよ 永遠に生きると思って学べ」を心に。

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