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素敵jな話 【誰の腹にもクソがある】

91歳の現役学校長・岡本武男先生のお話から
        (穎明館中学・高等学校長)
     
(岡本先生が教師生活で貫いてきた)
「生徒を見捨てない」ということの根底にあるのは、
やはり禅の体験でしょうね。

そこから教えられたのは、人間は基本的に皆、
平等だということです。

その、平等という観点で強く心に残っているのは、
師範学校時代に教育実習を受けた伊藤茂光先生です。
部落民の社会的地位向上のために
骨身を削ってこられた方ですが、
先生の箴言(しんげん)集の中で、鮮明に覚えている言葉がありましてね。

「誰の腹にもクソがある──」。

当時、部落民は卑しい身分だと蔑まれ、
差別を受けていたわけです。

先生は、人間をそんなに差別するものじゃない、
偉そうに言うな、誰しも腹の中を
断ち割ってみたらクソだらけだ、と言われた。

これこそが本当の平等観ですね。

仏教では「悉有仏性(しつうぶっしょう)」、
キリスト教では「神の前に平等」
といわれるように、人間同士は
それぞれの人格を重んじなければいけない。

僕は大学でカント哲学を少し齧(かじ)りましたが、
その一つに、人格の尊厳という問題があります。
カントは自らの著書の中で

「汝(なんじ)及び他の人格における人間性を、
単に手段として扱うことなく、常に目的として扱え」
と述べています。

要するに、人間関係というのは
現実的には「手段関係」なんです。

例えば僕が生徒を指導する。そのことによって
僕が給料を貰うということは、
生徒の存在は教師にとっての手段ということになる。
逆に生徒から言えば、教師の存在は、
自分たちが学び成長するための手段にすぎない
ということにもなる。

しかし、生徒自身が一つの目的を立てて、
その目的に沿って自分をつくろうとして勉強する時、
教師は彼らにとっての「目的的な存在」となる。
校長は教員を統括し、学校を良くしていくという
使命と目的を持っている。

そう考えると自他共に
「目的的存在」であるということになり、
即ちすべての人の人格は尊厳であり、
人間は皆、平等であるというのが、
カントの教えるところではないかと思います。

誰の腹にもクソがある──。

要するに、偉そうに言うなということですよ。
校長だ、社長だといったって、偉いわけでも何でもない。
皆、同じように腹の中には
クソのようにエゴイズムが
渦巻いているということなのでしょう。

そういう解釈に捉われてしまうと
人格の尊厳という面が失われてしまいますが、
大事なことはそういう自分自身も同じ人間だ、
だからお互いに尊敬し合わなければ
いけないということです。

伊藤先生は
「教師たる者は自らの愚を自覚せよ。
 生徒と同じように、心身ともにクソだらけの自分を自覚し、
 そこから出発せよ」とおっしゃりたかったのでしょう。

        致知出版社メルマガより   http://www.chichi.co.jp/

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