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今日も生かされて

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素敵な話

素敵な話 《善因善果》

今回の話は、善き友を持つことの重要性を説いている。
今勤めている警備会社で働くようになって知り合ったH君は、殆ど同じ頃警備員になって同学年ということで親しくしてもらっている。
同じ時代を60年間生きてきて、縁あって知り合った。
先日、H君と同じ現場で警備に就いたとき、梅雨の晴れまで暑い日の昼休憩の時、H君が「風が吹いたらえぇのになぁ」って言ったので私が子供の頃、テレビの人気番組を思い出して「よ~し 風小僧を呼んじゃろぉ」と言うと、H君が「あぁ 懐かしいのぉ~」と言って、白馬童子やハリマオーの話で盛り上がった。
慣れない警備の仕事で凹む事もあるが励ましあっている

…………………………………………………………………………………………………
     「善因善果」

       出井弘八(いでい・こうはち=セイワみずほ相談役)

            『致知』2008年12月号「致知随想」
            ※肩書きは『致知』掲載当時のものです
  株式会社 致知出版社メルマガより( http://www.chichi.co.jp/

お釈迦様に弟子の阿難尊者が、

「善き友を持てば、仏道修行を半ばは
 成就したことになると思いますが、いかがでしょうか」

 と尋ねたところ、お釈迦様は、

「それは違う。仏道修行のすべてである」

とお答えになったという逸話があります。
私は来年米寿を迎えますが、
きょうまでの紆余曲折の人生を振り返れば、
このお釈迦様の教えに深い共感を覚えずにおられません。

善き友に恵まれるか否かは人生の幸、
不幸を大きく左右することを実感しています。

私は東部軍官区司令部参謀部の中尉として終戦を迎え、
戦前に勤めていた銀行に戻った後、
昭和二十三年に独立。東京で商売を始めました。

最初は、故郷栃木の名産である下駄を扱いましたが、
あえなく失敗。商売の厳しさを実感した私は、
捲土重来を期して、昭和三十四年に
新宿の小滝橋でレンタカー業を始めました。

自動車教習所近くの好立地で営業したことと、
他社の扱う車がほとんど中古車であった中で、
新車をズラリと揃えたことが評判となり、
業界二位へと急成長を遂げました。

景気の雲行きは、東京オリンピックを
過ぎたあたりから怪しくなりました。

いずれ大手自動車メーカーも
この事業に参入してくると予測した私は、
昭和四十二年に自動車用品販売業へと転身を図りました。

他社が千円で売っている商品を九百八十円で、
二千円で売っている商品を
千九百八十円で売る私の安売り商法は、業界の枠を超え、
いまでは小売りの常識となっていますが、
この商法によって会社は再び大きな収益を
上げるようになったのです。

とはいえ、必ずしも商売は
順風満帆ではありませんでした。
昭和三十二年には資金繰りの目処が立たなくなり、
このまま行けば不渡りを出すところまで
追い詰められました。

お金の手立ては前日になってもつきません。
どうせ裸で東京に出てきたんだ。
会社がダメになったからといっても、
またもとの裸に戻るだけだ──。

私は腹を括りました。

ところがその日の夜八時、
突然に昔の友人から電話がかかってきたのです。

浅草から故郷の足利へ戻ることになったので、
その前にどうしてもおまえに会いたいとのこと。
彼の声を聞くのは実に十年ぶりのことでした。

私はすぐに車で迎えに行き、
時のたつのも忘れて積もる話に花を咲かせました。
夜も白々と明ける頃、そろそろ送ろうか、
と切り出すと、彼はおもむろに
預金通帳と印鑑を私に差し出して言いました。

「これを使っておけ」

その口座には、何と五十万円もの大金が入っていました。
私は彼を見送った後、すぐに銀行に駆け込み、
何とか不渡りを出さずに済みました。
支払期限の二時間前でした。

何とも不思議な体験でした。

電話がかかってくるまで十年間、
私は彼とは一度も連絡を取っていませんでした。
彼と話をしている間も、
お金で困っていることなどひと言も言っていません。

後に彼と思い出話をする中で、
当時のお礼を改めてすると、

「それはおまえのおかげだ」

と彼は逆に私に感謝するのです。
すっかり忘れていましたが、私は戦時中に、
米軍の上陸を想定して水戸郊外で
塹壕掘りをしていた彼の部隊を
見舞ったことがありました。

司令部参謀部という軍の枢要にいる私と
彼が親しいことを知ったその部隊の隊長は、
彼を当番に命じました。

それによって過酷な労働から解放され、
快適な旅館住まいをさせてもらった恩を、
彼はずっと忘れなかったというのです。

善因善果、善きことをすれば
善きことが返ってくる。

そしてその積み重ねが、善き友に恵まれ、
自分の運命を大きく開くことにも繋がってくる。
若き頃より『法華経』に帰依していた私は、
この体験を通じて、
お釈迦様の教えの尊さを実感しました。

善因善果を実感する体験は、
これまで数限りなくありますが、
もう一つここでご紹介しておきたい話があります。

私の少年時代は劣悪な栄養事情のせいもあり、
五人いたきょうだいの三人が次々と病没。
私も商業学校に通っていた頃、
腎臓を患いました。

前年、弟が腎臓病で急死したこともあり、
私の発病を知った両親の悲しみは
たとえようもありませんでした。

その姿を見るに忍びなく、
私は病気は治ったと嘘をつき、
親が亡くなるまで二十五年間、
医者にかかることも、
薬をのむこともせず病気を隠し通しました。

結局、昭和三十四年に左の腎臓を摘出しましたが、
そのため背中に大きな傷跡が残りました。

ところがこの大きな傷が、
私の四人の子どもに対する
何よりの教育になったのです。

彼らは、こんな体になってまで
家庭を必死で支える父親に対して、
少しでも報いてゆきたいと、
子どもながらに思ったのでしょう。

家計の苦しい時も一切愚痴を言うことなく、
大した教育環境を与えてやることもできませんでしたが、
学校では皆トップレベルの優秀な成績を収め、
耳鼻咽喉科医師、眼科医師、薬剤師、
音楽教諭としてそれぞれに活躍しています。

子どもたちがいつも私の体を
気遣ってくれるおかげで、
片腎できょうまで元気に過ごすことができました。

優しい子どもたちに囲まれ、
いまは幸せを噛み締めて毎日を過ごしています。

これも親を思い、我慢を貫き通した
私に対する天のご褒美と受け止め、
辛かった病気に心から感謝をしています。

先日、長年続けてきた寄付活動に対して、
日本赤十字社より表彰状、及び有功章を賜りました。

人間がこの世に生まれてきた目的は、
少しでも世のため、
人のためお役に立つことです。

この本来の目的から離れることなく、
私はこれからもできる限りの善根を積んで、
善きご縁を結んでまいりたいと思います。


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プロフィール

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Author:taka
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 性 別  :男
 血液型  :O型
 現在地  :広島市

69歳の今も、何にでも興味を持ち、いつも熱き心で青春だ。人生は、成るようになるし、また成るようにしかならん。起きるべきことが起きるから深呼吸してリラックス リラックス。
「明日死ぬと思って生きよ 永遠に生きると思って学べ」を心に。



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