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今日も生かされて

.22

甦れ美しい日本

日本人の底力を引き出す

今日からでも遅くはない。日本人の持つDNAのスイッチをONにする教育を!!
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国柄探訪:『国民の修身』を読む

 極東の一小国が半世紀で世界の五大国に仲間入りした原動力は、修身で培われた道徳力にあった。
              国際派日本人養成講座より
              http://blog.jog-net.jp/
■1.けんやく(倹約)

 水戸黄門こと江戸前期の水戸藩藩主・徳川光圀(みつくに)に、こんな逸話がある。

 徳川光圀はぢよちゆう(女中)たちが紙をそまつにするのをやめさせようと思ひ、冬のさむい日に紙すきばを見せにやりました。ぢよちゆうたちは川のうえのさじきに居て、さむい風にふかれながら、紙すき女が水の中ではたらくありさまを見てかへりました。

そこで光圀は『一まいの紙でも、紙すき女がくらう(苦労)してこしらへたものであるから、むだにつかつてはならぬ。」といつてきかせました。

ぢよちゆうたちはなるほどとさとつて、それからは紙をそまつにしないようになりました。

 戦前の小学校3年生向けの修身教科書「十七 けんやく(倹約)」の一節である。イラストで、紙すき女たちが川の中で作業をしているのを、女中たちが桟敷で見ている様子が描かれているので、小学校3年生でも状況はよく分かる。

「物を大切にする」ことを教えるために、それを作った人の苦労を理解させる、というアプローチは、現代でも十分有効である。

■2.しようじき(正直)

 上記は渡部昇一氏の監修による『国民の修身』の一節である。これは尋常小学校1年から3年までの修身教科書を復刻し、現代語訳と渡部氏の解説をつけた本である。

 こんな一節もある。

 七 しようじき(正直)

 あるごふくや(呉服屋)に、しようじきなでつち(丁稚)がありました。ある時きやく(客)の買はうとしたたんもの(反物)にきずのあることをしらせたので、きやくは買ふのをやめてかへりました。

しゆじん(主人)は大そうはら(腹)をたて、すぐにでつちの父をよんで「この子はじぶんの店ではつかへない。」といいました。

父はじぶんの子のしたことはほめてよいと思ひ、つれてかへつてほかの店にほうこう(奉公)させました。

この子はそののちもしようじきであつたので、おとなになつてからりつぱ(立派)なあきんど(商人)になりました。それにひきかへて、さきのごふくやはだんだんおとろへました。

 弊誌354号[a]では、「道徳力と経済力」と題して、「正直、信頼、助け合い」という道徳力が、日本の経済力を生み出した点を述べた。この一節は、まさしく「正直」が商売の繁盛をもたらすという、現代社会でもそのまま通用する道徳を述べている。

■3.日常生活での気づき

 光圀の話は史話であり、また呉服屋の丁稚は人生訓のレベルだが、1年生、2年生向けでは、子供達が普段の日常生活で出会うようなシーンが描かれている。

 十 トモダチ ニ シンセツ デ アレ

 ブンキチ(文吉) ガ 大キナ フロシキヅツミ ヲ ソバニ オイテ、マツ ノ 木 ノ 下 ニ ヤスンデ ヰマシタ。

 コタラウ(小太郎) ハ アソビ ニ デタ トチユウ(途中)デ、ソレヲ ミテ、 ブンキチ ニ 「ソノ ツツミ ハ オモ(重)ソウダ カラ、二人 デ モツテイキマセウ。」ト イ(言)ヒマシタ。

サウシテ ツツミ ノ ムスビメ ノ 下 ヘ タケ ヲ トホ(通)シテ モツテ イキマシタ。

 イラストは、着物姿の二人の男の子が、風呂敷包みに細い竹棒を通し、二人で持って歩いている姿である。竹棒がしなって、いかにも風呂敷包みが重そうだ。

 教科書では、単にこの一場面を描写しているだけで、何が良いとか、どうしろ、と言ったお説教は何も書いていない。この場面から、子供達にそれを自分で感じとらせようというのである。

 自分を文吉の立場に置いてみれば、重い荷物をもって休み休み運んでいる所を、小太郎が現れて助けてくれたら、嬉しく感じるだろう。そう感じ取れれば、今度は友達が困っている時には、自分も小太郎の様に、助けてあげなければ、と気づく。

■4.近所のおばさんがお弁当を作ってくれた

 前節の話は2年生向けだが、1年生向けではさらに単純だが、同じ手法で「親切」が説かれている。

 オカアサン ガ ビヨウキ(病気) デ ネ(寝)テ ヰル ノデ、 キンジヨ(近所) ノ 人 ガ キテ、コノ子 ノ ガクカウ(学校) ヘ モツ(持)テ イク ベンタウ(弁当) ヲ コシラヘテ ワタシテ ヰマス。

 イラストは、お母さんが病気で伏せっており、その横に座っている娘に、近所のおばさんがお弁当を渡しているシーンである。

 子供たちは、お弁当を作ってもらった娘の立場で、これを読むだろう。当然、近所のおばさんの親切を、嬉しく有り難く思う。そこから、自分も人のためになることをしたいと思うに違いない。

 頭ごなしに親切を説くよりも、子供達が自分自身で考え、気づくようにさせる、というのは、現代教育での知識の詰め込みよりも、はるかに高級な教え方である。

 少なくとも、道徳は詰め込みではなく、自分で気づかせ、その心に根を張ったものでなくては本物にはならない。そういう教え方が小学校1年生からでも可能である、ということを、修身教科書は示している。

■5.「三つ子の魂百までも」

 以上のような佳話を子供の頃に聞かせ、感じさせる意味を、監修者の渡部昇一氏は、次のような体験で説いている。

 氏は書庫を片付けていた時に、偶然、子供の頃に読んでいた『キング』という雑誌の付録の小冊子を広げて、アッと驚いた。

 そこには大チェリストのカザルスが、パリで貧しい学生生活を送っていた頃、スペインにいる母を安心させるために、日記を2週間くらいまとめて送っていた、という話が書いてあった。

 実は、氏は終戦後、まだ食糧事情が逼迫していた頃に東京に出てきたので、郷里の親は心配していた。そこで氏は、毎日の食事の内容など簡単な日記を書いて、親に送っていた。

 氏は「日記を送る」のは、自分で考え出した名案と思っていたのだが、実は子供の頃に読んだカルロスの話が潜在意識の底に潜んでいて、郷里の母が心配していると思った時、その話が自らのアイデアのように浮かび上がってきたらしい。

 子供は良い話に敏感である。子供心に感じ入った事は、記憶の底にすり込まれ、大人になって、そんな事はすっかり忘れていても、似たような状況に出くわしたら、その時の思いがふと浮かび上がってくる。

 困っている友達がいたら手助けしてやろうとか、病気の人がいたら、何かやってあげられる事はないか、と考えたりする。まさに「三つ子の魂百までも」である。「ああ、こういうのが子どもに修身のような話を聞かせることの意味なのか」と氏は悟ったという。

■6.教育勅語と修身教科書

 明治24(1891)年に制定された「小学校教育大綱」では、「修身ハ教育ニ関スル勅語ノ旨趣ニ基ヅキ、児童ノ良心ヲ啓培(けいばい)シテ其(その)徳性ヲ涵養シ」とある。

「児童ノ良心ヲ啓培シ」とは、今まで述べたように、単に知識として教え込むのではなく、子供心に感じとれるような話を聞かせることで、子供が本来持っている良心が伸びるように仕向ける、ということである。

 その前段の「修身ハ教育ニ関スル勅語ノ旨趣ニ基ヅキ」という点は、修身の目的が教育勅語の精神を学校教育の中で実現する、ということである。

 教育勅語については、その起草者である井上毅(こわし)を通じて述べたが[b,c]、その特長は古今東西に通用する基本的徳目を特定の宗教に偏ることなく述べた点にあった。それは次の一節にも窺われる。

父母ニ孝(こう)ニ、兄弟(けいてい)ニ友(ゆう)ニ、夫婦相和(あいわ)シ、朋友(ほうゆう)相信ジ、恭倹(きょうけん)己(おの)レヲ持(じ)シ、博愛衆(しゅう)ニ及ボシ、

 父母に孝養をつくし、兄弟姉妹は仲良く、夫婦は仲むつまじく、友とは信じあい、自らの言動をつつしみ、すべての人々に愛の手をさしのべ、

 しかし、これを国民道徳として浸透させるには、この高邁達意の文章を、小学生にも分かるような具体的な物語として説き聞かせた方が良い。

 そこで、たとえば「博愛衆ニ及ボシ」を、上述のお弁当を作ってくれた近所のおばさんという物語で表現し、子供たちの心の中から「博愛」が育つように工夫しているのである。心配りの効いた教育方針という外はない。

■7.皇后陛下の思いやり

「倹約」「正直」「親切」などは、いかなる時代、どこの国でも通用する徳目であるが、それが皇室につながっていくのが、教育勅語、および修身の特長である。

 3年生の修身教科書の冒頭は、「一 皇后陛下」とあって、

 陛下はまた大そうおやさしくあらせられ、人々をおあはれみになりました。大正十二年にくわんとう(関東)で大ぢしん(地震)があった時、ごじしんでたくさんの着物をおぬ(縫)いになつて、こま(困)つてゐる人たちにたま(賜)はりました。

 今回の東日本大震災では、両陛下が毎週のように被災地をお見舞いされて、被災者を励まされたが、まさしくそれと同じである。

 皇后陛下が被災者たちに着物を贈られたという逸話は、近所のおばさんが、母親が病気で伏せっている娘にお弁当を作ってやった、という先の話と、「親切」「思いやり」という点では同じである。

 親切心を持った子供なら、この皇后陛下の思いやりの御心をすぐに感じとれるだろうし、またこの逸話から皇后陛下の御心を有り難く感じとった子供は、自分も他の人への思いやりを持とうと思うだろう。

 親切とか思いやりとは、古今東西を問わない普遍的な徳目だが、それらを体現されている皇室を、国民統合の中心に戴いているという点に、我が国の国柄がある。

■8.日本人の底力

 一国の国民一人ひとりが良心を持ち、それを道しるべに、自ら、正直、勤勉に、かつ互いに思いやりをもって、家庭生活や仕事に励んでいけば、その国の文化も経済も大いに発展し、豊かで幸福な国民生活を実現できるのは当然である。

 極東の一小国が明治・大正を通じて、わずか半世紀で世界五大国の仲間入りするという近代世界史の奇跡が実現したのは、この底力の結果である。

 その底力が国家の安全保障に向かえば、大東亜戦争で、数十倍の経済力を持つ米国に対して、何年も戦い抜くという姿となって現れた。その底力を恐れた米国が、占領下において、教育勅語と修身教育を廃止させたのは、敵ながらあっぱれな慧眼と言ってよい。

 さらに独立後もソ連や中国の影響を受けて、我が国の国力を削ぐ事に専念してきた「進歩的文化人」たちが、教育勅語と修身教育を「封建的」と攻撃してきたのも、米国の真似であった。

 しかし、戦前の修身教育で育った世代は、その底力をもって戦後の経済復興を実現してくれた。だがその世代が引退し、戦後教育で育った世代が社会の中核になると、日本経済もバブルから「失われた20年」という迷走を続けた。道徳力が落ちれば、底力を失って、経済力も衰え、政治も混迷するのである。

 近年になって、この『国民の修身』に代表されるように、道徳教育の再興が謳われるようになってきたということは、そろそろ我々も日本人の底力がどこに由来するのか、に気づき始めたということだろう。

 教育とは、学校のみならず、家庭でも、あるいはお年寄りが開く寺子屋の形でも、国民誰でもがそれぞれの場でできることである。そして、志ある人々が子供一人一人と向き合って、その子の良心を引き出すという形が最も効果的である。

 そういう形で、日本人が持っていた底力を再度、引き出すべき時期に来ている。


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 現在地  :広島市

69歳の今も、何にでも興味を持ち、いつも熱き心で青春だ。人生は、成るようになるし、また成るようにしかならん。起きるべきことが起きるから深呼吸してリラックス リラックス。
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