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素敵な言葉 《スキーの葛西選手の母》

来月の7日(現地時間)にロシアのソチで開幕する 第22回冬季オリンピック競技大会の日本選手団主将を務める葛西紀明さん。冬季では日本人最多となる、6度目の五輪出場という大記録を成し遂げる裏にこんな話があったとは・・・
41歳の金メダリストの姿が見れることを祈る!!
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母からの手紙
「絶対におまえは世界一になれる」
           致知出版社facebookより

 ―――ジャンプを始めたきっかけは?

 (葛西)
 小学3年生の時、ジャンプを
 やっていた友達に誘われて
 やってみたんです。
 負けず嫌いなので、友達よりも
 跳んでやろうと思ったら、
 いきなり抜いてしまいました。
 人より跳ぶ、人に勝つ快感を
 その時初めて知ったんです。
 すぐにジャンプ少年団のコーチが
 家まで来て、息子さんにジャンプを
 やらせないかと誘ってくれました。

 ―――天性の才能が見出された。

 (葛西)
 でもジャンプという競技は
 すごくお金がかかるんです。
 うちにはとてもそんな余裕はなくて、
 親はダメだと。泣く泣く
 諦めたんですが、親の目を盗んで
 人が跳ぶのを見に行ったり、
 跳ばせてもらったり、
 ジャンプヘの思いは募る一方でした。

 間もなく町民スキー大会があって、
 親に黙って出場したら
 一位になりましてね。
 もらった金メダルを手に、
 どうしてもやりたいと
 親に泣いて頼んだら、
 やっと首を縦に振ってくれたんです。

 必要な道具は全部先輩のお下がりを
 使わせてもらってやりました。
 何しろうちは、米も食べられないくらい
 貧乏だったんですよ。

 母が朝から晩まで1人で働いて
 姉と妹と私を育ててくれていました。
 電話も引けないし、スーパーには
 いつもつけ払いで借金だらけ。
 そういう中でお金のかかるジャンプを
 やらせてくれた母には、
 本当に感謝しています。
 いつかオリンピックで
 金メダルを取って家を建ててあげる。
 母にはそう約束したんです。

 それだけに、絶対に
 勝たなければならない。
 夢中で練習しました。
 だから中学、高校と、ライバルは
 いませんでしたね。
 勝ちまくっていました。

 ―――ジャンプで生きていこうと
 いう決意も次第に固まってきたと。

 (葛西)
 1つの転機になったのが、
 中学三年の時に札幌の大倉山で
 開かれた宮様大会でした。
 そこに私は、テストジャンパーとして
 出場することになったんです。
 中学生が跳ぶことは
 当時としては異例のことでした。

 ―――初めて体験する
 正規のジャンプ台はいかがでしたか?

 (葛西)
 ジュニア向けのジャンプ台とは
 比較にならないくらい大きくて、
 本当に怖かったですねえ。

 とにかく怪我だけはせずに
 家に帰りたいと考えていたんですが、
 優勝した選手よりも
 遠くへ跳んでしまったんです。

「陰の優勝者」と新聞に書かれて
 随分話題になりました。
 その時ですね。
 遠い夢だった金メダルを、
 現実の目標としてハッキリ意識したのは。

 ―――世界トップレベルの実力は、
 弛まぬ猛練習の賜物でしょうね。

 (葛西) もちろんそれもあります。
 しかしそれ以上に、
 自分を支えてくれる人たちの
 存在が大きかったですね。

 実は、94年のリレハンメル五輪の前年に、
 妹が再生不良性貧血という重病に
 かかりましてね。

 辛い治療を何度も受けたり
 ドナー探しで大変だったんです。
 妹のためにもぜひ金を取りたい
 と思っていたんですが

 先ほどお話ししたように
 銀に終わってしまった。

 でも、妹は病気をおして
 千歳空港まで迎えに来てくれましてね。
 誰にも触らせずにおいたメダルを、
 1番に触らせてあげたんです。
 元気になってくれ、という気持ちを
 込めましてね。

 ―――喜ばれたでしょうね。

 (葛西)
 「ありがとう。次は金だよ」って
 逆に励まされました。病気の妹に
 比べれば、自分は何も辛いことはない。
 そんな妹を支えに、98年の長野五輪へ
 向けて気持ちを奮い立たせました。

 ところが94年の11月、ある大会で
 転倒して鎖骨を折り、しばらく跳べない
 状態が続いたんです。翌年の5月頃
 ようやく完治して、私はブランクを
 埋めるためにそれまで以上に猛練習に
 励みました。通常なら3百本跳べば十分と
 いわれる夏に、900本跳んで
 再起を賭けたんです。

 ―――通常の3倍の猛練習を。

 (葛西)
 しかし、それが逆に災いして、
 その冬のシーズンで今度は
 着地の時に足を骨折して
 しまったんです。
 普通に着地したんですが、
 その途端にコリッと。

 練習のし過ぎで、腰や股関節に
 負担をかけ過ぎたのが原因でした。

 それから1年半くらい
 記録と遠ざかっていたんですが、
 そんな折に実家が
 放火に遭いましてね。

 母が全身火傷で病院に
 担ぎ込まれたのです。

 ―――ああ、お母様が全身火傷に。

 (葛西)
 なんとか一命は取り留めたんですが、
 火傷は全身の70%にも及んでいて、
 炎の熱で肺も気管も焼けていました。
 何度も皮膚移植を繰り返したんですが、
 結局97年の5月に亡くなりました。

 後から入院中に母の書いた
 日記が出てきましてね。
 それを開くといまでも
 ポロポロと涙が出てくるんです。

 ああ、辛かったんだろうなあって…。 

 貧乏と闘いながら
 必死で働いて僕たちを育て、
 ジャンプまでやらせてくれた母には、
 いくら感謝をしてもし足りません。
 金メダルを取って家を建ててあげる
 約束を果たせなかったのが、
 本当に残念で……。

 入院中の母は、もう手も握れないくらい
 ひどい状態でした。
 痛みは絶えず襲ってくるし、
 死の恐怖と必死に闘っていた。
 そんな中で、不調な僕を気に掛けて、
 励ましの手紙を送ってくれたんです。

 ―――そこに書かれていたことは。

「いまこの時を頑張れ。

 絶対におまえは世界一になれる。

 お前がどん底から這い上がってくるのを

 楽しみに待っているよ。」と。

 いまでも大事な大会の前には
 この手紙を読み返します。
 見るたびにものすごく
 大きな力をもらえるんです。



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プロフィール

taka

Author:taka
ニックネーム:孝ちゃん
 性 別  :男
 血液型  :O型
 現在地  :広島市

69歳の今も、何にでも興味を持ち、いつも熱き心で青春だ。人生は、成るようになるし、また成るようにしかならん。起きるべきことが起きるから深呼吸してリラックス リラックス。
「明日死ぬと思って生きよ 永遠に生きると思って学べ」を心に。

リンク
Tony Bennett, Lady Gaga - Winter Wonderl
Von Trapp Kids All Grown Up! -The Sound
ひろしま協創高校バトン部
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