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今日も生かされて

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素敵な話

素敵な話 《サッカーの長友と母》

サッカーのイタリア1部リーグ(セリエA)インテル・ミラノで活躍する長友佑都の心の支えとなった、母と恩師の話。
素晴らしい母によって、素晴らしい人間が育つのだなぁとつくづく思う。
女にしか出来ない、産み育てるという大きな仕事。長友佑都の母の偉大なところは、泣き言も愚痴も言わず、ただ一途にわが子を信じ、わが子自身が気付くまで辛抱強く見守ることが出来る人間力を備えていたことではなかろうか。

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「誰かを思い、大切な人のために闘う」                           国際派日本人養成講座より

■12歳で自分のサッカー人生が終わったような気がした

 愛媛県西条市の西條北中学校時代、長友は荒れていた。小学6年生の時に、愛媛FC(フットボール・クラブ)傘下の中学生チームに入りたいと、テストを受けたが不合格。

 失意のまま、西條北中学校のサッカー部に入ったが、そこは不良の巣窟だった。たいていの部員は放課後の練習をサボって町の盛り場に出かけていく。警察に補導される先輩もいた。12歳で長友は自分のサッカー人生が終わったような気がしていた。

 また父母が離婚していて、母子家庭と見られることのストレスもあった。放課後、母が働きに出ている家に友達を呼んで、たむろすこともたびたびだった。

 母親は、一日の仕事を終えて、疲れて帰宅し、散らかった部屋を片付ける際も、「また、今日も、ぎょうさん友だち来てたんやねぇ」と言うだけだった。

 長友がゲームセンターで遊んでいることは近所の評判にもなり、「佑都くん、大丈夫なん?」と母親に告げる人もいた。それでも母親は「ゲームセンターにおることがわかっているから、なにかあってもすぐ居場所がわかって便利ですよ」と笑って切り返した。

 母親は「自分自身で気がつかないと意味がない。いろいろな人とつきあうことで、良いことや悪いことを自分で判断できるようになる」と考えていたと、後に長友に語っている。

■「お母さんの気持ちを考えたことあるんか?」

 長友の入学と同時に、西條北中に赴任してきたのが井上博先生だった。「中学校の教師になり、サッカー部を指導したい」という夢を持っていたが、なかなか教員試験に合格できなかった。しかし、小学校の教員を経て、29歳の時に西條北中で念願のサッカー部の顧問になった。

 井上先生は、なんとかサッカー部をまともにしようと、奮闘を始めた。1年生を集めて、先生はこう訴えた。「お前ら1年生は俺と一緒に北中に来た。卒業するまでの3年間で、お前らがサッカーやれるよう俺がなんとかするけぇ。先輩のことは気にせんと、一緒にサッカーやろうや。」

「熱いこと言うてるけど、どうせ口だけやろ」 母を捨てた父親との事から、長友は大人の男に不信感を抱いていた。それにゲームセンターで遊んでいるほうが楽しかった。

 ある時、いつものようにゲームセンターで遊んでいると、「お前ら、なにしとるんじゃ」と声が響いた。声の方に振り向いた途端、恐怖に凍りついた。身長はそれほどないが、いかにも筋肉マンの井上先生が、怒りの炎を宿した目で睨んでいる。

「立てや」と言われて、長友と隣にいた友だちが立ち上がった途端、パチンと乾いた音がして、友だちが「痛い~」と頬を押さえて、膝から崩れ落ちた。次の瞬間には長友の頬に痛みが走った。

「お前がこんなことをやってるんを見ているお母さんの気持ちを考えたことあるんか? そのゲームやっているお金は誰のおかげぞ!!」 顔を真っ赤にしながら口にしたその言葉が長友の胸に響いた。

■「俺はな、ホンマに申し訳ないと思っとる」

 ゲームセンターでの出来事があってから、井上先生はことあるごとに「佑都、ちょっと話せへんか」とやってきた。先生の車の中で話すこともあった。

「お前なぁ、ついこのあいだまでサッカー大好きで、毎日毎日サッカーやってたんやろ。どうよ、今、物足りひんちゃうん? もっとサッカーやりたいやろ」

「小さいころ、プロになりたい言うとったやろ。お前はプロになれると思うで。愛媛FC落ちて、ショックなんはわかるけど、ここで諦めたら、終わりやで」

「佑都らの代は、神拝小時代から強かったし、うまかった。ええ選手がそろっとる。そやけど、中学のサッカー部がこんな状態やけぇ、サッカーへの情熱が薄れてしもうた。俺はな、ホンマに申し訳ないと思っとる。お前等、サッカーやりたいのに、、、、サッカー部がこんな状態で、、、、」

 先生が泣いていた。大人の男が泣くなんて、初めて見た。心が震えた。

「母さんのこと考えてみぇや。朝から晩まで働いているんは、子どもの幸せのためや。お前のスパイク買うたん、誰か、よう考えてみぃ。母さん喜ばせたないんか」


■「俺はお前とサッカーがやりたいんや」

 先生の言葉が耳に届いたとき、僕は母さんの顔を思い浮かべた。毎日一生懸命働いて、しんどいのにいつも笑っている母さん。泣き言も愚痴も言わず3人の子どもたちのためにすごい頑張っている母さん。

西條に来てから、母さんがのんびり座っていたり、ゆっくり寝ている姿を見たことがない。僕が遊びへ逃げても小言ひとつ言わずに見守ってくれている母さん。それだけ僕を信用し、期待しているということだ。というのに、僕は嫌なことから逃げて、楽なことしかやってない。

「なにやってんねん」

 情けなくて、腹立たしくて、申し訳なくて、カッと身体が熱くなった。涙が頬を伝ってきた。一筋涙が流れると、もう止まらない。声をあげて泣いた。

 そんな風に井上先生とふたり、泣きながら語る夜が何度もあった。長友は思った。

「サッカー部の生徒全員に裸の心でぶつかってくれる先生。僕らを真面目にさせるため、サッカーへ戻すため、必死になってくれる。ひとりの選手、ひとりの人間に対して、こんな風に本気になれるなんて、こんな先生ほかにはおらへん」

「俺はお前とサッカーがやりたいんや」という先生の言葉に長友は黙ってうなづいた。サッカーに打ち込む日々が始まった。

■「自分の信念がぶれないのは、ノートがあるからだ」

「これはな、心のノートやけん。なにを書いてもいいけん。とにかく毎日書いてこい」

 2年生になると、井上先生がそう言って、ノートを配った。しかし、授業中ですらノートをつけない長友にとっては、家で机に向かってノートを広げることだけでも億劫(おっくう)だった。

「今日も元気に練習できた」
「ゴールを決められなくて、残念だ」

 毎日毎日、そんな1行を書くだけでも精一杯だった。それでも、先生は「ノート見せてみぃ」と毎日、皆のノートを確認し、なにかしらメッセージを書き込んで返す。そのメッセージからもまた、先生の熱意を感じることができた。

 真っ白なノートを前に、今日一日にあったことを考える。なにが起き、どんな行動をし、そしてどういう風に感じたのか、あれこれ考えると、その瞬間には自覚していなかったさまざまな自分の感情に気づくことができる。そして文字に書かれた自分の思いを読み直すと、客観的に自分を見つめることが出来た。

 まるで自分自身と会話を重ねているような時間だったので、その作業がどんどん面白くなっていった。家に戻り、夕食をすませると、さっそくノートを開く。先生のメッセージを読み、そして自分の気持ちを記す。一日に何ページも書くことがあった。

「チームがひとつになることは、ボールを蹴るよりも大切なこと」

 中学時代に長友が「心のノート」に記した言葉だ。長友は今でも実家に帰ると、心のノートを開くことがある。過去のノートを読み返すことで、大切なことが思い出される。「自分の信念がぶれないのは、ノートがあるからだ」と長友は思う。


■「目標があったら、僕はとことんやるタイプなんや」

 秋には、3年生が引退し、長友ら2年生がサッカー部の中心となった。その頃の長友は小学生時代と変わらないプレースタイルだった。ボールを持ったら離さず、どこまでもドリブルで勝負する。しかもボールを奪われても守備に戻らない。

「佑都。お前の持ったボールは、ゴールキーパーから始まって、ディフェンダーが頑張り、チームメイトがつないでくれたボールや。お前だけのもんやない。そこを感じてプレーせなアカン。心でボールを蹴ってくれ。仲間のために走れ。」

 先生の言葉は理解したが、守備に戻るスタミナがなかった。走って自陣に戻って守備をしたくても出来なかった。サッカー部のトレーニングで校外を3キロくらい走る練習メニューでも、校門を出たら、さっと横道に隠れる。チームメートが戻って来ると、こっそり中に戻る。顔や頭を水で濡らして、さも走ってきたかのように見せる。

「佑都、お前な、上を目指したいと考えてるんやろ? だったら、走れるようにならなアカン。スタミナをつけなければ、上には行かれへんぞ!!」

 プロになるためには強豪の高校に行くしかないと考えていた長友は、先生の言葉にカッと熱くなった。「やるしかないやろ」。そう腹をくくった。次の日から、400メートル10本、3キロ2本、など、チーム練習で1日15キロ以上は走った。

 先生の指導スタイルは、自分の弱点を自分で気づかせ、それを克服するためにどうするかは、自分で考えさせる事だった。それは母親の「自分自身で気がつかないと意味がない」という言葉と共通していた。

「佑都。どないしたんや。メッチャ速なっとうやん」 いつのまにか、チームでもいつも一番を争うようになっていた。

 努力をしたら、結果が得られる。だから努力がどんどん楽しくなってくる。「目標があったら、僕はとことんやるタイプなんや」 目標を置いて、それに向かって努力していく面白さ、そしてそれをとことんやる自分自身の力に気がついた。


■「感謝の気持ちがあるから、僕は成長できる」

 西條北中サッカー部はぐんぐんと強くなっていった。しかし、3年生の夏、高円宮杯全日本ユースサッカー選手権大会出場を目指したが、県予選3位で敗退。

 高校は、強豪・東福岡高校に行きたいと思った。しかし、私立だし、寮費もかかる。これ以上、母親に大変な思いをさせてもいいのか、と悩んだ。井上先生は「推薦入学でお願いできる可能性もあるよ」と後押ししてくれた。

 長友が思いきって、母親に相談すると、ホッとしたような顔でこう答えた。

「母さんはね、佑都に東福岡に行ってほしいと思ってんのよ。あんたから「行きたい」と言うてくれんのをずっと待っとったんや。お金のことなんか、どうにでもなるんやし、子どもが心配する必要はないから。」

 東福岡高校のサッカー部には九州、中国、関西からも選手が集まってくる。県や地域の選抜チームに選ばれた選手も少なくない。そんな部員が150名もいる。その中では長友は背も低く、身体も細い。レギュラーになるための道はとても遠く見えた。

 しかし長友は自分の弱点を自分で掴み、自分なりの練習でそれを一歩一歩、克服していく。サッカー部での練習の他に、早朝と夜間は自主トレだ。睡魔との戦いだったが、授業中には絶対に寝ないで頑張った。母親が必死で働いて、授業料を払ってくれているからだ。

「感謝の気持ちがあるから、僕は成長できる」と長友は言う。その言葉通り、高校から大学、プロ、そして欧州へと、その都度、下から入って、そこで成長して這い上がっていく繰り返しだった。

 長友の成長の原動力は「感謝の心」だ。そして、その「感謝の心」があるからこそ、イタリアのインテル・ミラノでもチームメートの「懐に入って」、チームの要としてやっていけているのだろう。

 その「感謝の心」を教えてくれたのが母親と井上博先生だった。


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Author:taka
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 性 別  :男
 血液型  :O型
 現在地  :広島市

69歳の今も、何にでも興味を持ち、いつも熱き心で青春だ。人生は、成るようになるし、また成るようにしかならん。起きるべきことが起きるから深呼吸してリラックス リラックス。
「明日死ぬと思って生きよ 永遠に生きると思って学べ」を心に。



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