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素敵な話 《伝説のエース・稲尾和久が語る挫折を乗り越える秘訣》

人生誰もが、順風満帆ばかりとはいかない。特に稲尾投手のように、プロに入っていきなり素晴らしい活躍をした人間にとっての挫折は、大変な苦しみであったろう。そんな苦しみも、一瞬の出来事で気持ちの整理が付くのだから人生って面白い。
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【“神様、仏様、稲尾様”と称えられた
 伝説のエース・稲尾和久さんが語った
 「挫折を乗り越える秘訣」とは?】
「3分で読める『致知』の感動する話」より

 プロ野球史上最多タイとなる
 シーズン42勝を記録した
 稲尾和久さん。

 高卒1年目でいきなり21勝を上げ、
 翌年シーズン20連勝の快挙を達成、
 21歳にして“神様、仏様、稲尾様”
 と称えられました。
 
 しかし、入団9年目に
 運命は一転します。

 1勝も上げられず、
 「落ちた偶像」と痛罵される中で、
 稲尾さんはいかにしてその挫折を
 乗り越えたのでしょうか――。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 挫折はいきなり私を襲いました。
 プロ入り9年目、
 昭和39年のキャンプのことでした。
 
 新人の年から前年まで
 8年連続20勝、
 通算234勝を上げて、
 「鉄腕」とはやされ、疲れを知らぬと
 思われていた私の右肩に、
 猛烈な痛みが走ったのです。
 
 結局、そのシーズンは
 わずか6試合に登板しただけで、
 0勝2敗。
 
 入団3年目の日本シリーズでの大活躍で、
 「神様、仏様、稲尾様」とまで
 持ち上げられたのに、
 それからわずか6年後には、
 新聞の見出しも「堕ちた偶像」という
 表現に変わっていました。

 1勝も上げられないまま、
 シーズン途中でリタイアして、
 熊本県の杖立温泉というところに
 こもりました。
 
 治療とトレーニングと称していましたが、
 実際は記者に追い掛けられず、
 スポーツ新聞も届かない、
 野球放送もないところへ行きたかった。
 野球から逃げたのです。

 宿舎にしていた旅館の近くにある山に、
 てっぺんが平らになった大きな岩が
 ありました。

 その上で寝転ぶと空しか見えず、
 いい気持ちになれるので、
 ある日、旅館の主人が作ってくれた弁当を
 持って山を登り、岩の上で弁当を食べて、
 ゴロリと寝転んだ時、
 
 不意にもう一人の自分が現れて、

「お前は何に焦っているんだ?」

 と語りかけてきました。

 そうか。

 私はガバッと跳ね起きました。
 その一言で迷いから覚める思いが
 しました。

「俺は自分の栄光を手放すまいと
 焦っていたのだ。
 しかし、その栄光は人から
 無理矢理背負わされたものではない。
 
 自分自身で築いて、
 いつの間にかしがみ付いてきたものに
 すぎないのだから、
 邪魔ならかなぐり捨ててしまえば
 いいじゃないか」

 そう思うと、ふっと気持ちが楽になり、
 俺にはやっぱり野球しかない、
 野球を続けようと思ったのです。

 ボールを投げてみましたが、
 相変わらず肩には痛みが走り、
 3メートル先すら届きません。
 
 しかし、私にはもう焦る気持ちは
 ありませんでした。

 鉄工所をやっている知人を訪ねて、
 鉄の球を作ってもらい、
 それでキャッチボールを始めました。
 
 無論涙が出るほど肩は痛みました。
 けれども、その痛みに慣れれば、
 硬式のボールぐらい
 なんでもなくなるだろうと思って
 練習を続けたのです。
 
 キャンプに入ると、
 奇跡のようなことが起きました。
 
 ある日、投げてみると、
 痛みが嘘のように消えていたのです。
 もちろん全盛期とは程遠いスピードです。

 しかし、ボールは真っすぐ
 キャッチャーミットに
 吸い込まれていました。
 
 その年の6月5日。
 東映(現日本ハム)戦に登板しました。
 打たれに打たれて6点を失いましたが、
 味方が7点もとってくれて、
 私は約600日ぶりに
 1勝を上げることができました。
 
 200勝以上も勝っていながら、
 これほど待ち焦がれた、
 嬉しい1勝はなかった。

 私にとっては100勝にも値する
 1勝でした。
 
 もしこの時の苦しみ、
 そしてたった1つでも、
 勝つことの感激を知ることがなかったら、
 私は増長したままで
 どうしようもない人間になっていた
 かもしれない。
 
 また本当の野球というものを
 ついに知ることなく、
 後にコーチや監督となって、
 若い人たちを指導することなど
 できなかったかもしれません。

 わずか21歳で
「神様、仏様、稲尾様」と
 もてはやされたのですから、
 知らず知らずのうちに天狗の鼻は
 高くなっていったと思います。

 それをへし折り、
 野球ができることの喜び、
 させてもらえることへの感謝を
 教えてくれたのは、肩の故障でした。

 苦しんだ600日は、私にとっては
 人生最大の転機となったのです。

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70歳の今も、何にでも興味を持ち、いつも熱き心で青春だ。人生は、成るようになるし、また成るようにしかならん。起きるべきことが起きるから深呼吸してリラックス リラックス。
「明日死ぬと思って生きよ 永遠に生きると思って学べ」を心に。

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